陽、沈みし刻の物語
Wizardry Online 3周年を記念し、ちょっとした読み物をお届けします。
物語は、涙無しには語れない「三巨頭」の知られざる物語。
秋めいてまいりましたので、お茶を嗜みながらの読書をご堪能ください。

第三章 夕闇のノインテーター

(1)

陽が沈む。

私が目覚める時間だ。

忌々しい太陽の光が薄紫色の帳に隠れ、夜の到来を知らせる狼の遠吠えと同時に、強張った体に感覚が戻ってくる。ようやく夜を生きる者たちの時間になった。

何百年も夜を共にしてきた使い古しの棺から身を起こすと、棺に仕込んである投影機がいつもの立体映像で見せる。

「おはよう、愛しのマーナ」

私は擦り切れてノイズも多くなってしまった立体映像に声をかける。
映像の中の美しいマーナは、華やかに微笑んだ。
ほんの数秒だけの邂逅だが、これがなければ長い年月で愛しき人の顔も忘れてしまっていただろう。

それだけは、決してそれだけは避けねばならない。

愛しの君を忘れることはあってはならない。
たとえ数百年の月日が過ぎようとも、我が生命とプライド、そしてノインテーターの名にかけて、愛しきマーナを忘れてはならんのだ。

物音がした────ような気がする。

「!? 誰か居るのか」

私はあたりに響くように声を張った。が、返答はなく、人の気配もない。
気のせいか。気のせいだろう。なんせこのボロ宿だ。床や天井が軋むなど日常的なことだ。

どうも寝起きは神経質になってしまっていかん。夜の貴族として余裕が無い姿を人間に見せるわけにはいかんからな。

私は愛しのマーナが微笑む映像を切り、いつものように外套と愛用の杖を持って部屋を出る。

相変わらず客が来ないようで宿の店主はカウンターで船を漕いでいたが、私が現れるや否や、背筋を伸ばして一礼した。私が現れると空気が変わり、緊張が走るらしい。

それもそうだ。いや、そうでなければならない。

人間どもは私に畏怖し続けるがいい。
それは私が人間どもに夜の貴族─────「吸血鬼」と呼ばれる種の者だからだ。

確かに血を糧とする私に吸血鬼という呼び名は相応しい。
我々は人間をも捕食し、人間では到底敵わない圧倒的な体力とスピードを持ち、人間には理解も出来ないような棺に仕込んだ機械でも分かる通り、
ドラグーン族の科学文明をも継承した夜の貴族だ。

そしていかなる攻撃も通じない不老不死の存在でもある。

昔、ある吸血鬼の一派が「我々は文化文明を持つ理知的な種であり、怪物ではない。人類と同等に存在している1つの人種であることを認めよ」
と人間どもに迫ったらしいが、却下された挙句に大戦となってしまった───なんと愚かな者達がいたものかと今でも思う。

明らかに我々より劣る人種と対等に? 馬鹿らしい話だ。
どうみても優位種である我々は、下等な人間どもを支配する側であるべきだ。
─────だが、今や地上の支配者は人間どもだ。

人間と戦った私を含めた武闘派貴族は、仲間の裏切りにより種族的弱点を知られてしまったせいで殆どが敗れた。
そして人間と交戦しなかった多くの者たちは、人の手から逃れるため、我らが都と共に深い地中で眠り続けている。

私は前者、我が愛しのマーナは後者だ。

人間どもとの戦いに敗れ、流れ流れて幾星霜・・・私は愛しのマーナが眠る都を探して旅を続けている。
さすがは我々の都だけあって、違う場所の地下に転移したらしく、それがどこなのか皆目検討がつかないで、もう何百年と探し続けている。

宿の入口にかけていたトップハットをかぶって外に出る。
まだ夕陽の残光が村の端々に残っているが、ほとんど夜だ。
これから先、人間は夕食を摂り、風呂で一日の疲れを癒やし、惰眠を貪る時間となるだろう。が、彼らが眠りにつく前に私には成すべきことがある。

私が夕陽を避けるように移動しているのとは逆に、村の人間どもは夜から逃れるように足早に家路に着く───滑稽な光景だ。
光から逃れる私と夜から逃れる人間ども。これが我々吸血鬼と人間の違いなのだ。

「そうだ。夜を恐れるがいい、人間どもよ」

陽が全て沈みきったあたりで、私は妙に気分が良くなった。

軽快にステップを踏むと、軽く体が浮き上がり、空中を闊歩するように見える。

『────あなた、またそんなにはしゃいで』
『────ダメですよ。私はあなたほど跳べないのですから』
『────すごく高い! 落とさないでくださいましね!』
『────気持ちいい風と夜光。気持ちいい星と月光。あなたと一緒になれて本当に幸せです』

マーナを抱き上げていた腕の感覚。
マーナが抱きついていた肩にかかる重み。
マーナの声、吐息、濡れた瞳、私に抱き寄せられ恥ずかしそうにくちづけする彼女のすべて・・・そう、すべてが時と共に風化していく。

それだけはダメだ。
彼女のことは一片たりとも風化させてはならない。
だが、時間は残酷だ。どう思い出そうとしても彼女との思いでは新しい記憶に上塗りされていく。

だから、彼女とのことを鮮明に思い出せるこんな夜が好きだ。

そんな私の浮かれた姿を見上げる農作業帰りの村人たちを尻目に、私は目指すべき建物の前に着地した。

外套を軽く払いトップハットを脱いで建物に入る。すでに中は賑わっているようだ。

ここはギルガメッシュの酒場。

全国どこにでもあるチェーン店で、冒険者や村人たちが酒と食べ物で満たされる場所だが───吸血鬼が堂々と来店するなど、この村以外ではないだろうが。

今宵の酒場には流浪の吟遊詩人が来ているようで、狭い店内にリュートを調律している音色が響いていた。

私は浮かれているのを隠すように、いつも座っている店の奥、窓のない隅の席に腰掛けた。

「よぉノインの旦那。今日も時間に正確だねぇ」

店主が屈託のない笑顔で出迎え、いつものように搾りたての鶏の血で満たされたワイングラスを置く。

私が何か言おうとする前に、店主は言葉を挟む。

「いやいや、いいってことよ! ノインの旦那にはいつも助けてもらってるから、このくらい安いもんだ。どうせ今日振る舞う肉として締めた鶏から絞ったもんだからね」

いや、そうではない・・・なんで鶏風情の血なのかと聞きたいのだが、私は口を閉ざして不味い臭いのするワイングラスを傾けた。

────この村に辿り着いたのは半年前。

ちょうどオークの大群がこの村を包囲し、今にも襲いかからんとしている場面だった。

これから陽光を避けるために泊まろうとしていた宿を壊されてはたまったものではない。そう思った私は、何よりも我が身のためにオーク共を蹴散らし、村を救った。

それから幾度となく妖魔妖物の類に襲われてきた不運なこの村を救ってきたのは私だが、人間を救うためにやったのではない。我が身のためにやってきたことだ。

それをどう勘違いされたのか、やけにこの村の人間どもに気に入られ、案外長居してしまっている。
もちろん私が夜の貴族であることも話したが、彼らは「吸血鬼? へぇ、珍しい」という反応だった。
どうやら彼らの中で私は「人を襲わないばかりか人を助ける正義の吸血鬼」だと思われてしまったらしい。

否定したくもあったが、そこまで安心されているというのに、それにつけこんで人間を襲うなどという下賎な真似はできない。
私は流浪の民であっても夜の貴族としてのプライドを持っているのだから。

「おっと。そろそろあの吟遊詩人が奏でますぜ」

私は音楽が好きだ。
我らの都にいた時は週に3度は、足音のない舞踏会やオペラハウスでの観劇に興じていた。
こんな辺鄙な場所であっても、奏でる者が人間風情であっても、それでも音楽はいいものだ。

『────あなた。今宵のチケット、かなり高かったのでは?』
『何を言うんだいマーナ。このくらいの出費で痛む懐ではないよ』
『────けど、決して経済的に裕福では・・・これからはオペラを控えませんと・・・』
『なぁに。私が何倍も働けばいいことだ。いくら我々の種族が衰退していようと、仕事の1つや2つ探してみせるさ』
『────人間の街で働いているって本当?』
『なぜそれを・・・』
『────私に音楽を楽しませるためにそんな危ないことをしないで。お願いよノインテーター』
『大したことはない。見た目では種族が違うことなど奴らにはわからんよ』
『────けど最近は人間の冒険者という連中が私達の同志を狩っているという噂も・・・』
『心配ないよマーナ。君はこれから始まる音楽を心ゆくまで堪能するんだ。心配なんてしなくていいんだよ』

マーナとのやりとりが鮮明によみがえる。
今日、やけに浮かれているのはそのせいだ。

だが、その浮かれた気分は、吟遊詩人がフードを上げた瞬間に、風に飛ばされる砂のように消え失せた。

「マーナ・・・?」

私は見覚えのあるその顔に愕然となった。


(2)

呆然とする私の前で、愛しきマーナと同じ顔をした女吟遊詩人は、リュートを奏でて歌い始めた。

  何故あなたは泣くの
  ─────言の葉が痛いから

  何故寂しくなるの
  ─────黄昏が怖いから

  一人、積もる砂の重さに潰され
  往くあてのない世捨て人、憂鬱な世捨て人

重く物悲しい旋律とは相反した澄んだ美しい歌声、その口が語るのは孤独に潰されそうになる男の話。

なんと胸打たれる歌か。
なんと心貫く旋律か。
なんと精神を抉る声か。

私は鶏の血潮で喉を潤すのも忘れ、茫洋と吟遊詩人の声と顔に魅入られていた。
愛しきマーナと違う声、同じ顔。いや、なにを動揺しているのだ私は。そもそも種が違うではないか。
この吟遊詩人は人間で、愛しきマーナは私と同じ吸血鬼、夜の貴族だ。

吟遊詩人が一曲奏で終えた。

私は立ち上がり、惜しみない拍手で応じたが、人間どもは唖然とした顔で私を見ている。誰1人拍手の1つも送っていないとは! 芸術や歌を愛せぬ下衆どもめ!

吟遊詩人は微笑を浮かべて会釈した。
なんということか・・・その仕草も愛しきマーナそっくりだ。

「辛気臭いんだよ! やめやがれ!」

再び吟遊詩人の指がリュートに触れた瞬間、店の奥から怒声が響いた。

「女だったら酒場で男を楽しませるやり方ってもんがあるだろうが! 自分で歌いながら脱げや!」

下卑た笑いに包まれる店の真ん中で、吟遊詩人は静かに立ち上がった。
そうだ。ここは怒るべきところだ。
この場にいる下衆な人間どもにその歌は上等すぎるというものだ───が、吟遊詩人は無言でストールを取り外した!

「そんなことをする必要はない」

私は吟遊詩人の女を制した。
野次と口笛が飛び交っていた店内が静まり返る。

「そのような輩の言うことなど聞く必要は────」
「うっせぇ! ひっこんでろ青白いガキが!」

私の言葉を遮って罵声が飛ぶ。

ガキ? 私か? 私をガキと言ったか?
齢600年を超えるこの私を、せいぜい3〜40年生きた程度の人間風情が?

私は冷ややかに罵声の主を見た。

「なんだぁ、てめぇは。やろうってのか、あぁ?」

この私にワインボトルを投げつけ失笑にも値しない怒鳴り声を上げているのは、格好からしてこの村の者ではない。流れ者の冒険者だろう。

「殺って欲しいのなら相手してやってもいいぞ」

私が言うや否や、荒くれ共はテーブルを蹴り倒し、武器を持って立ち上がった。

その言動からして大した実力はない。腕に自信がある者は心にも余裕があるものだ。この程度のことでいきり立つ程度の人間に、この私が負けることなど、ない。

村の者たちはテーブルごと店の端に移動を始める。荒事には慣れたものだ。

「いまの言葉、後悔させてやるぜ、にぃちゃん」
「その言葉、そっくり後で言い返してやろう」

冒険者の1人が杖を構え、黒魔法の詠唱を始める。魔術師だろう。

人間には感じられないだろうが、その詠唱では周りの魔素が少しざわつく程度でしかない。つまり大した呪文ではない。

そして魔術師の杖から火の玉が放たれる。
魔法障壁が施され、魔法の威力が緩和されている建物の中とはいえ、この至近距離で魔法を喰らえばただではすまない────相手が人間ならば。

私の眼前で火の玉は消滅し、魔術師は唖然となった。

「野郎、対魔の装備かなにかを持ってやがる!」

そうではない。
我々吸血鬼は魔法への抵抗力が強い。余程運が良くない限り、殆どの敵性魔法は私に通用しないのだ。

「ちょうどいい。身ぐるみ剥いでやらぁ!」

リーダー格の男が巨大な斧を振り上げながら突進してきたが、打ち込まれた瞬間軽く避けた。
人間の出せるスピードなど、我々からするとスローモーションでしかない。全力を出さなくとも武器の軌道を先読みすれば回避などたやすい。
ましてやこの愚か者の打ち込みは猪突猛進。至極読みやすく、避けやすいものだった。

私の横を抜け、床に突き刺さった斧は簡単には抜けなかった。
はじめてこの愚か者の顔に焦りの色が浮かぶ。
多少なりとも死線を彷徨ったことがあれば、自分が相対している敵の強さは肌で感じられるだろう。
かわいそうなことにこの愚か者にはその程度の実力は備わっていたようだ。
なにもわかっていなければ恐怖することなくあの世に逝けたというのに。

「お待ちください」

マーナ。
───いや、吟遊詩人の女は頭を垂れながら続けた。

「どうかお引き下さいまし。これ以上はお店のご迷惑に・・・」
「やかましい!」

粗暴な冒険者達は吟遊詩人を突き飛ばし、私を囲んだ。

「おい」

私はカウンターの奥に逃げようとしている店主に話しかけた。

「こいつらはいいんだな?」
「へ、へぇ。この村とは無縁の流れ者ですし、お好きに・・・あ、できるだけ外で、といいますか、人の見てないところでお願いしますぜ、ノインの旦那」
「了解した─────と、いうわけだ」

私は冒険者共に向き直り、二人の首をへし折って窓の外に放り投げた。
死んだ者達は何が起きたのかも理解できなかっただろう。
残りの男たちも驚愕の表情を浮かべたまま、首の骨を折られて窓の外に放り出す。

3と数える間もなく、冒険者は1人だけ────リーダー格の斧使いだけとなった。

「な、なんなんだ、お前は」
「下衆に名乗ると思うか?」

私は男がようやく抜いた斧の刃を素手で持った。
男は勝利を確信したような、なんとも得体のしれないものを見るような、複雑な表情をした。
どんなバカでも斧の刃を素手で握ったりはしない。
だが、私が斧の刃を握りつぶして見せると、複雑だった表情がすべて失われていった。

さて。
こいつは餌にしてくれよう。

男を店の外に引きずり出し、誰もいない裏手に行く。
私の力に抵抗できずに引きずられた男は、さっきまでの勢いはどこに行ったのか、急に命乞いを始めた。

「さ、酒のせいで気が大きくなってただけなんだ! すまない! すぐに村からも出る! だから殺さないでくれ!」
「ふむ・・・」

私は窓から放り出した者たちの躯を見た。

我々には「死者の血を吸ってはならぬ」という教えがある。まだ試したことはないが、先人からの教えである以上、してはならないことなのだろう。
だから、先ほど首の骨をへし折った者たちの血は飲まない。
飲むのはこの男のもので十分だ。

「金! 金ならやるから!」
「ダメだな」

絶望する男の首を掴んだ瞬間、怖気にも似た感覚に襲われ、私は大きく一飛した。

私がいた場所と、力なく倒れる男の間───地面には銀色のブローチが突き立っていた。
そのブローチの形は、我々吸血鬼が生理的に、いや細胞レベルで嫌悪する形状───十字架だ。

それを見れば我々吸血鬼は嘔吐感に襲われ、触ろうものなら皮膚は焼けただれてしまう。

この形が何を意味しているのか調査した吸血鬼貴族院の科学者たちは
「ドラグーン時代よりも古代、創造神アヴルールが世界を作っては壊していた時代に生まれた宗教的なアイテム」という結論を出したが、
なぜそれが我々に対して精神的肉体的なダメージを与えるのかは皆目見当がつかなかった。

「それを嫌がるか。やはり貴様────ヴァンパイアだな」

夜の闇が声を吐いた。
なんということか。どんな深遠の夜でも昼間と変わらず見通せる私の目でも気が付かなかったが、すぐ近くに初老の男が立っていた。

この十字架の形をしたブローチを投げ、音もなく地面に突き立てるという並外れた技量。
私に気配すら察知させない身のこなし。
そして闇の中にいながらでも見える強いその眼光。

私の前で腰が抜けて蒼白になっている冒険者とは格が違う。
この初老の男は相当な実力を積んだ冒険者だ。

「夜の貴族に対して名乗ろう。我が名はスローン。吸血鬼専門の冒険者、吸血鬼ハンターだ」


(3)

「いやぁ、さすが噂に高い吸血鬼ハンター、スローン氏だ」

酒場の店主が豪快に笑っている。

「本当によかったのか?」

スローンは私をずっと見据えたまま、酒場の店主に言葉を返した。

「へぇ。これが村の総意ってやつでしてね」
「この村を救ってきた吸血鬼ではないのか?」
「へぇ、まぁ、そりゃそうなんですが────いつ村の人間の首に噛み付くかと思うと安心して眠れたもんじゃねぇんですよ」
「わからんでもない。血の誘惑に打ち勝てる吸血鬼など見たことがないからな」

十字の形をした台座に縛り付けられた私を睨みつけてくるスローンは、どこか疲れているような目をしている。まぁ、それも致し方あるまい。
私のように高貴な吸血鬼をまぐれとは言え捕縛したのだ。肉体的にはともかく、精神的疲労は相当なものだろう。

それにして、店主のこの言動────村の者達が私を恐れているのなら、私に出て行くように言えばいいだけのことだろうに、
わざわざ吸血鬼専門の冒険者など呼び寄せるとは・・・いや、まてよ。出て行くように言われた私が激高し、村を襲うと考えたのかも知れないな。
そう考えるとこの処置もやむなし、か。

「しかし、こいつほどしぶとい吸血鬼も見たことがない。聖水を浴びせ首を切り落としても瞬きする間に元に戻っておる」

ふん。当然だ。
私をそのあたりの擬似吸血鬼風情と一緒にされては敵わぬ。
世に蔓延っている吸血鬼と呼ばれる怪物のほとんどは、我々が吸血した人間が変質化したゾンビに等しい存在だが、
私は齢600年を超える本物の吸血鬼だ。私を殺したければ────

「やはり太陽に晒すしかないか」

ちっ。スローンめ、我々の弱点をよく知っている。

まだ朝日が登るまで時間がある。今は十字架に貼り付けられて力が出せないでいるが、なにか策を練らなければ・・・夜の貴族たるもの、見難く焦るなど恥だ。

スローンと話をしていた店主は、私の方をチラチラ見ながら足早に立ち去った。少しは私に対して罪悪感があるらしい。

人間の弱さとはなんともかわいそうなことよ。

自分より強い者の庇護になければ不安になり、しかしその強い者がいることで更に不安になる・・・
自分が最も強い者になったとしても後身を恐れ、寝首を掻かれないかと不安になる。
そういう自分の産んだ不安の種を発芽させ、常に不安に苛まれている輩がいる限り、私のような犠牲者が出続けるだろう。弱きことは罪ではないだろうが害ではあるのだ。

人間の弱さに感慨深く思っているところに、スローンが寄ってきた。

「夜の貴族よ、お前を助けてやらんでもない」

ほう・・・これはまた、突然の申し出だ。

「見返りに何を求める?」
「魔女シャーデを倒す方法だ」

私は眉を寄せたことだろう。

魔女シャーデ。
知らぬ名前ではない。

百年以上前に存在した人間で、禁呪とされている召喚魔法で魔界に住む怪物どもを呼び寄せ、アザルス大陸全土を戦場に変えた悪女だ。

「魔女だろうがなんだろうが、人間なら首を跳ね、心臓をえぐり取れば死ぬだろう」
「いいや。死ななかった」

試した、ということか。

「死なない? 塵に変えても蘇ってくるとでも言うのか? 我ら吸血鬼のように」
「いいや。奴は魂だけでこの世を彷徨っている。気に入った肉体があれば憑依し、意のままに操る。その肉体が滅びたらまた次の・・・奴を、シャーデの魂を滅ぼす方法が知りたい」

禁呪の1つに魂だけで生き続ける方法があると聞いたことがあるが、人間には魂を滅ぼす方法などない。
そもそも人間にとって、魂は目に映らぬ存在だ。それを認識し、攻撃を当て、滅ぼすなど考えなくても無理だと分かるだろう。

「出来るのだろう? 吸血鬼の科学文明は人間の数百、いや、数千年先を行くと聞いたことがある。魂を滅ぼす方法も知っているはずだ」
「他の吸血鬼にあたれ。私は門外漢だ」
「今までお前のように高貴な吸血鬼には巡り会えなかった。そしてこれからも逢えるとは限らん」
「では言い直そう。知らぬことを教えることなど出来ぬ、とな」

次の瞬間、私は激痛で言葉を失った。
スローンは白木の針を私の右胸に差し込んでいる。

致命傷ではないが・・・これは・・・痛む!

白木がどうして我々吸血鬼にとって劇毒なのかわからない。どんな剣や毒も効かないこの身体も、白木であれば小枝であっても傷つけることが出来るのだ。
その白木のせいで皮膚が焼け爛れる。これは簡単には癒えない傷になるだろう・・・。

「俺はあの女を殺すまでは死ねぬ。そのためであれば吸血鬼だろうが悪魔だろうが、なんでも利用してやろう」

スローンは瞳の奥に怒りの炎を揺らしながら私の右胸に白木を強く押し込んだ。
こ、この私が叫び声など上げてなるものか!

「あの女を追い続けもう何年か・・・身体は老いさらばえ、昔のような力も出ない。次が最後になるかもしれん。
さぁ、教えろ。貴様達吸血鬼の技術で魂を狩る方法があるということは調べてあるのだ!」

「聞いたこともない!」

私は正直に応じた。
嘘をついて急場をしのぐなど、そんな真似ができようか。
私は夜の貴族ノインテーターなのだ。

痛みが止んだ。スローンが手を止めたのだ。

「シャーデは我が妻の肉体を奪い取り、去っていった」

痛みが増した。スローンの持つ白木が刺さっているからではない。私の胸の奥にあるマーナの姿が心の奥に浮かんだからだ。

「貴様ら吸血鬼にはわかるまい。愛するものを奪われた悲しみなど」

「・・・」 「あの魔女の魂を倒し、我が愛しの妻を取り戻す。それができるのならこの生命、捨てても構わぬ」
「その覚悟を妻とやらは喜ぶと思うか?」

スローンは顔をしかめた。その眼光を覗きこむとスローンも睨み返してきた。
こんな初老の男と睨み合うなど悪寒で鳥肌が立ちそうだが致し方ない───「あれ」の気配を悟られぬために。

そして「あれ」は射程圏内に迫った。
私は嬉しくなり、思わず笑みを浮かべてしまった。

「余生はゆっくり過ごせ」

スローンは鈍い音とともに前のめりに倒れた。

その後ろには棍棒を持った吟遊詩人の女───愛しきマーナにそっくりな人間の女がいる。私は棍棒を持ってこそこそとやってくるマーナの動きをスローンに察知されぬよう、くだらない会話劇を演じていたのだ。

「ご無事でしたか」
「無事ではないが」

右胸の傷はふさがっている。外見では無事以外の何物でもないだろう。

「お、おい! スローンさんが倒れてる!」

タイミングの悪いことに酒場の店主が我々を見つけて、大声を上げた。

吟遊詩人は小さく舌打ちした。
随分と怖い顔に見えたがすぐに我が愛しのマーナと同じ顔になった。

吟遊詩人は右腕で触れたようにしか見えないが、私を十字架に結びつけている鎖をいとも簡単に外してみせた。一瞬のこと過ぎて、さすがの私も彼女が何をしたのかわからなかった。

吟遊詩人ともなるといろいろな技術がないと生きて旅など出来ないのだろう。ましてや女一人でなど・・・。

「さぁ、早く行きたまえ。私を助けたと知られてはただでは済むまい」
「御貴族様と共に参ります」
「私は村を出る。同伴する必要などない」
「そんな! 貴方様は何もしていないというのに! それどころかこの村を何度も救ってこられたと聞いております!」

突然女が激高した。
さすが吟遊詩人。芸術肌は感情の起伏が激しいと見える。

「それは勝手に人間どもが勘違いしたに過ぎ───」
「いいえ! 貴方様のようにお優しいお方を蔑ろにするこの村には呪いあるべきです!」
「随分と物騒な事を・・・いいかね、私は吸血鬼だ。人間を糧にする敵なのだから───」
「そんなことより早く逃げましょう! さあ!」

いつの間にか押し切られてしまった。
何年生きていようと、男は女に口では勝てないようだ。

私は女を抱きかかえて走った。

あまり早く走り過ぎると人間の身体では耐えられないので、できるだけ早く、できるだけ優しく走るという、実に面倒な逃げ方を強いられた。
それでも人間の足では追いつけないであろう速度で、村から離れた森の中まで逃げ仰せた。

女は顔を紅葉させている。私のスピードで生まれる空気との摩擦で肌を痛めたかもしれない。

「怪我はないか」
「はい」
「顔が赤いが、肌は痛くないか」
「これは───照れでございます」
「?」
「殿方に抱かれるなど、初めてのことで」

私は違和感に口を閉ざした。

辺境を女1人で旅する吟遊詩人が、男に抱かれたことがないだと?
殆どの場合は酒場で奏で、気に入ってくれた客と一夜を共にして金を得て、また違う街に行く。それが辺境で生きる吟遊詩人というものだ。

「すまんが、ここで降りてくれたまえ」
「いかがなされましたか?」
「同行するのはここまでにしよう。住む世界、生きる世界の違う身分だ」
「そんな・・・女1人を斯様な場所に置き去りになされるのですか!?」
「君は今までこの辺境を女1人で旅してきたのだろうに・・・」

そうだ。
女1人で辺境を──────。

危険なのは人間ばかりではない。
この女は妖魔妖物の類をどうやって退けてきたというのか。

鈍いなにかが私の胸を貫いた。
それは吟遊詩人の女・・・その右腕だった。

私は女を放り投げるようにして、肘まで入った右腕を引き抜いた。
が、これは不味い。まさか私の身体を女の細腕が貫くとは!

マーナの顔をした女吟遊詩人は放り投げたというのに、華麗な身のこなしで着地し、血まみれの右腕を振った。その一振りでほとんどの血が飛んで元の白い繊手になる。
とんでもないスピードで腕を振ったのか、それともその腕自体が特殊なのか・・・。

吟遊詩人は酷くやさぐれた顔で、胸を抑えてひざまずく私を見下ろしている。

「───ったく。二重依頼なんて、ややこしいことしやがってさぁぁぁ」

唾吐くように言った女は右腕のどこかに触れた。すると右腕の肌感が銀色に変わる。あれはこの時代の人間どもが作れる代物ではない。おそらく古代遺跡かどこかで手に入れた古の義手だろう。
しかも、我々吸血鬼に効果的な銀と同等の素材のようだ・・・銀に触れただけで私の皮膚は焦げ、場合によっては溶けることもある。女の力で私の胸を貫けたのも納得だ。

「あたいはあのジジイと同業の冒険者。吸血鬼ハンターさ。あの村に雇われてきたんだけどさぁ。まさか二重に依頼が出てるだなんてねぇ。まぁ、ジジイは出し抜いてやったけどさ」
「・・・」
「他に邪魔が入りそうだったんでここまで来たけど、きっとあの酒場の男がジジイを叩き起こしてる頃だろうねぇ」
「・・・」
「あ、そうそう。あんたが最初に殺した連中。あいつらはあたいの部下。ほんとはあいつらと戦っている時に油断させて殺るつもりだったんだけど、まぁいいわ」
「・・・」
「あら? 口が開けないくらい痛い? 吸血鬼でも痛いの?」
「・・・」
「ねぇぇぇぇ? 痛いのぉぉぉ? 痛いんでしょおおお? 胸に穴が開いてるんだものねぇぇぇぇ?」
「・・・」

女の右腕が変形し、巨大なハサミのようになった。
おそらく私を十字架に結びつけていた鎖を一瞬で断ち切ったのはこれだ。
あの右腕はドラグーン族が開発したモーフィング金属・・・使用者の意志に応じて形を自由に変形させることが出来るという便利な代物だ。

「次はどこをやる? ねぇ、どこをやるぅぅ?」

吟遊詩人の顔が変形し始める。
その顔の半分以上は銀色になり、すぐさま別人の顔になった。
愛しのマーナとは似ても似つかない、目が上擦って狂気をはらんだ醜女だ。

こやつ・・・顔にまでモーフィング金属を付けてマーナの顔に化けていたのか。
とうやってマーナの顔を知ったのか。その疑問はすぐに女の口から解かれた。

「似てたぁ? 似てたでしょぉぉ? 宿であんたがこの女と話してるの見たからさぁぁぁ」

今日の目覚めで何者かの気配を感じた気がしたが、あれは気のせいではなく、こいつだったのだろう。我が愛しきマーナのホログラフを見て、顔を知ったのだ。

「この下衆が・・・その醜い顔が二度と私に向かぬよう、その首を反対に向けてくれよう!」
「できるぅぅぅ? できるのぉぉぉぉ!?」

醜い女の笑い声が森の中に響き渡る。
その顔、腕、胸、腹、足・・・至る所から鋭い針が生え、銀色に輝く。
これでは妖魔妖物の類にしか見えないが、こんな化物も人間・・・冒険者なのだ。
自分の強さのためにならどんな姿になってもいとわない。なんと恐ろしいことか。

「あたしの腕も顔も身体も、全部武器なのさ!」

女は私めがけて飛びかかってきた。

が、光が一閃するや否や、その身体はすぐさま地面に落ち、不敵な笑みを浮かべた顔だけが飛んできて、そのまま私の足元に転がった。

表情はわらったまま固まっている。
吟遊詩人───の振りをした吸血鬼専門の女冒険者は絶命していた。

私は何もしていない。一体何が起きたのか。今の光は何だ!?

「随分派手にやられたわねぇ」

笑みを含んだ鈴の音のような女の声が生じるまで、私は呆然とするしかなかった。


(4)

突如現れた金髪の女は幼女のように笑っている。

なんだこの女は。
この私がまったく気配を感知できなかったことより、女を包むドス黒い雰囲気・・・邪悪なオーラは我が身をも凍えさせた。

艶女のような露出の多い服装。
それ自体が発光しているかのような金色の髪。
無邪気に蝶の羽をむしる子供のような笑み。
手にした光る鞭は、おそらく女吟遊詩人の首を一撃で跳ね飛ばしたものの正体だ。

新手の冒険者か?─────いや、この女から感じる気配は邪悪そのもので、私と同等、いや、私より強大な闇の力を感じる。
では悪魔のたぐいか?───いやいや、その血肉は人間のものだと私の五感が言っている。

「私はシャーデ。漆黒の魔女と呼ばれているわ」

私が思慮巡らしているのをわかってか、女は名乗った。

シャーデ。
つい今し方、初老の冒険者が語っていた怨敵ではないか。

あまりにも出来過ぎた出会いに二の句が告げられないでいると、シャーデは勝手に話を進め始めた。

「私の名を呼べば私が来る。そういう魔法があるのよ。だから昔は私の名前を呼ぶのはタブーとされていたらしいわ。
まぁ、私が封印されている間にそんな禁忌は伝承されなくなってるんだけどね」
「・・・」
「あら。あなた、死の都を探して旅しているのね?」
「!?」
「口を閉ざしていても、あなたが人間ではなくても、その瞳に意思があるかぎり、私は心を読めるのよ」
「そんなに魔法は便利ではあるまい」
「あなたの知っている魔法は、ね。けど私の知っている魔法は便利よ?」
「・・・」
「あ、そうそう。私、死の都の場所を知ってるのよね。」
「なに!?」

金髪の女、シャーデはにっこり笑った。まるで私が驚嘆の声を上げるのを待っていたかのように。

「ついでに死の都を蘇らせる鍵も持ってるわよ?」
「・・・嘘を並べてどうするつもりだ、人間風情が」
「あら。嘘じゃないわよ。あなたにあげてもいいんだけど」
「・・・」
「とことん疑り深いのね。ま、今は持ってないわよ? その鍵は私の本体がいる場所にあるから」
「本体?」
「そ。この身体は人のものを借りてるだけ。私の本当の身体は封印されちゃってるのよ」

スローンが語っていた。
『奴は魂だけでこの世を彷徨っている。気に入った肉体があれば憑依し、意のままに操る。その肉体が滅びたらまた次の・・・』
というのは間違いないようだ。

「で、ね。私の身体を取り戻す手伝いをしてくれたら、報酬として鍵を渡すわ。どう?」
「ふん。信用すると思うか。貴様が人間なのかどうかもわからぬというのに」
「そのとおりだ!」

何かが叫びながらシャーデに襲いかかった。
が、その体は見えない力で宙に固定され、ぴくりとも動かなくなった。
シャーデが身体の周りに張り巡らせている防御魔法に気が付かなかったのだろう・・・まるでこれは魔力で作った蜘蛛の巣だ。絡まったが最後、魔法障壁でも作らない限り逃れるすべはないだろう。

「なぁに? この人」

空中に浮いたまま動けなくなったのはスローンを見て、シャーデはキョトンとしている。

「冒険者・・・吸血鬼ハンターだ」
「ふーん。こんなおじいちゃんがねぇ・・・・」

かわいそうなものを見るようにシャーデが言うと、スローンは顔を真っ赤にし、こめかみに血管を浮かべながら叫んだ。

「妻の身体を返せ! シャーデェェェェ!」

老いた者の声とは思えない絶叫だった。
森の中に何度も何度もスローンの絶叫が反響する。
が、シャーデは小煩そうに顔をしかめた。

「この体の旦那さん? そんなに年寄りなのによくこんな美人と結婚できたわね」
「き、きさまぁ・・・」
「あ、そっか。私が憑依している間、この身体は老いる事なく美しいんだった。ってことは、このままでいいんじゃない?」
「おのれ・・・おのれ・・・」
「私が離れたら一気に老けて醜くなるけど、いいの?」
「年老いるのが真っ当な人間というものだ!」

シャーデは大笑いした。
美しい顔立ちに似つかわしくない、大口を開けた笑い方だった。

「それが嫌で私は人間辞めたのよ」

老いるということがない我々吸血鬼にはわからぬ感情だ。

「妙な邪魔が入ったわね。えーと、ノインテーターだっけ? あなたもこの人みたいに奥さんに逢いたいんでしょ?」

スローンと一緒くたにされているのは気に食わないが、確かにその通りだ。

「ね? 私に従ったほうがいいんじゃない? 私は身体を取り戻したい。あなたは鍵を取り戻したい。私達の利害は一致するの。だって同じ場所に封じられているんだから。ね?」

「やめろ夜の貴族! その女は危険だ! 吸血鬼にとっても人間にとっても、この女は脅威となる! 
この女は・・・あぁ、この女は・・・もはや人間ではないのだ! お前にとっても世界にとっても、この女は・・・」

「あー、もう、この女この女って、うるさいわねぇ」

シャーデが腕を振ると光る鞭の先端がスローンの胸先を撫でた。本当に掠める程度だった。
が、スローンの身体は細かい粒になって、さらさらと落ちていく。

「夜の貴族よ! 頼む。シャーデから我が妻を取り戻してく・・・」

なんということだ・・・。すべてを語る前にスローンの全身は光る粒になり、完全に消滅した。

この女は「この鞭の破壊力であればノインテーターを粉砕することも容易い」というアピールのためにスローンを殺したに違いない。

「あ、鞭が気になる? これ、私の体の一部なのよ」

体の一部?

よく見たら鞭の光っている部分はホタルが発光するかのように明滅を繰り返しており、まるで怪物の触手のように自由意志があるようにも見える。

「触れたものを原子の塵に返す指向性の鞭。たとえヴァンパイアロードでもこの鞭に当たれば二度と蘇れないでしょうね」
「ふっ」

私は思わず笑ってしまった。

ヴァンパイアロードというのは通称で、夜の貴族の頂点に君臨する13名の大貴族のことを示している。彼らは私など足元にも及ばない年月を生き、神に等しき能力を持っている。
そんな彼らにこの程度の女が勝てるとは欠片も思えない。あまりにも無知な女の大袈裟な言い様に笑ってしまったのだ。

「あら、笑う余裕が出来たってことは、私の話を受け入れる体制ができたってことよね?」
「いいだろう。但し、その女の体は捨てていけ。それが条件だ」
「は? なんで?」
「死に征く者の言葉は鉄だ」
「あの爺さんの言葉でも? 人間よ?」
「相手が虫であれなんであれ。遺言は守らねぱならない。それが────」
「夜の貴族の流儀ってやつね? おセンチねぇ」
「・・・」
「ま、この体にも飽きてきたからいいんだけど、それを叶えたら従ってもらうわよ?」
「御意に」

私は胸の前に手を上げて一礼した。

この女から死の都の場所を聞き、復活させるための鍵を手に入れる、その時まで。
私は自分を殺してこの女に仕えよう。

「じゃあ、さっそく、新しい身体を探しにあの村に行きましょうか」

私を追い払った村を指差すシャーデ。
私は何も言わなかった。

「あれぇ? 自分を追い出した村なのに嫌なの?」
「なんでそんなことを知って・・・」

そうか。目を見ると心を読むんだったな。

「嫌ではない。少し愛着が湧いてしまっただけだ」
「言葉」
「は?」
「あなたは私の下僕になったの。言葉遣いには注意しなさい? 鍵捨てちゃうわよ?」
「・・・御意に」
「あなたの忠誠を確認したいんだけど」
「なんなりと」

シャーデに見られぬよう、目を伏せながら答える。

「あの村で一番の美人以外、全員殺してきてくれない?」

私は言葉に詰まった。

パン屋の娘さんが焼いてくれたマフィンは美味かった。実に美味かった。
酒場の・・・あの阿呆・・・がしてくれた与太話は私でも笑いを殺せないほどの傑作だった。
木こりの頭領は私のために棺を作ってくれた。あれほど芳しく深い眠りにつける棺を私は知らない。
洋裁店の女主は毛羽立っていた私の一張羅を見て、無料で新しいスーツを作ってくれた。今は胸に穴が開いたりしてボロボロだが、この着心地は一級品だ。
村長の屈託のない笑顔が好きだった。
宿の主のいびきが好きだった。
道具屋には待望の倅が生まれたばかりだって。
噴水周りを駆けまわっている子どもたちの声が好きだった。

だが、あの村のどんな好きなことより、私にとってはマーナと再び抱き合える日が来ることのほうが大事なのだ。

「それじゃ行きましょうか」

シャーデの魂が抜け、私の肩にまとわりつく。
人間には見えない魂という存在を、我々吸血鬼は見ることが出来る。触ることが出来る。握りつぶして二度と彷徨えなくすることも出来る。
これは人間には出来ないが我々吸血鬼にはできること・・・スローンには伝えなかったことだ。

いますぐこの魂を握りつぶしたい。
だが、そんなことをしたら城を蘇らせる鍵が永遠に失われてしまう。
急激な老いと苦しみの果て、声もなくうずくまるシャーデだった者の肉体は、光る粒になっていく。
あの初老の男と同じように。

私は、老婆と化したシャーデだった者の肉体が完全に消えるのを待って動き出した。
目の前を彷徨っている魂が急かしているようにも見える。

これから私は私という存在を封じなければなるまい。

鍵を手に入れるその時まで、私はシャーデという稀代の魔女に使える下僕となる。命令であれば、愛着のあった人間の村を滅ぼし、彼女の足をも舐めるだろう。

だが、最後の最後に笑うのはシャーデではない。この私だ。

私は夜の貴族ノインテーター。ではない。
私はシャーデ様の下僕ノインテーター。その日が来るまでは。


(完)