陽、沈みし刻の物語
Wizardry Online 3周年を記念し、ちょっとした読み物をお届けします。
物語は、涙無しには語れない「三巨頭」の知られざる物語。
秋めいてまいりましたので、お茶を嗜みながらの読書をご堪能ください。

第ニ章 逢魔が刻のスメルチ

(1)

陽が沈む。

夕陽の朱色と、夜の藍色─────その2つが空を横に割る。

朱色は徐々に藍色に食われ、食い尽くされた後には夜が訪れる。

この昼と夜の境目は昔から逢魔が時(おうまがとき)と呼ばれている。

妖魔妖物が活発になる夜の入り口は、即ち魔と出会い始める時間なのだ。

その証拠に、古戦場跡にはこの世に怨みと未練を残した幽鬼たちが姿を表し、街道外れでは虎視眈々と人間の血肉を狙っている邪妖精達が現れ始める。

それでも首都に近い内辺境(インナー)であれば、対抗できないような化物は滅多に現れない。
定期的に巡回している辺境警備隊が化け物どもを排除してくれるからだ。

しかし未踏の地も多い外辺境(アウター)は違う。
街道と呼べるかどうか怪しい道しかなく、辺境警備隊でも勝てないような怪物が跳梁跋扈する外辺境で、逢魔が時以降に移動するなど正気の沙汰ではない────旅人もそれは十二分に理解していたし、早く次の村に辿り着こうと焦っていた。

手綱を握る手に力がこもる。
馬たちも本能的恐怖から、必死に走っているのは分かる。
だが、夜の帳が下りきる前に村に辿り着きたい。ここで馬の足が壊れたとしても、だ。

しかし、運命とは残酷であった。
まさか街道の先で馬車が荷崩れを起こして横転しているとは。

辺境で生きる者達は現実的であり、冷徹である。だが、助けあうことで生き延びていることもわかっている。
こういう場合、先を急ぐあまりに無視して行くのは辺境の住む民として、あまりにも非道な行いなのだ。

旅人は馬をゆっくりと歩かせ、横転して車輪を失った馬車の横に付けた。
随分と作りが豪華な馬車で、装飾からするとこのあたりの豪商が貴族の馬車を払い下げで買ったというところか。
荷崩れしたのも当然で、こんな悪路にどうしてここまでのトランクを積んで走ったのかと疑問に思えるほどの荷物が、辺り一面に散乱している。

「誰かいるか!? 返事があれば村まで連れて行く! 返事がなければ素通りさせてもらうぞ!」

「いるわよ」

旅人の心臓は一瞬硬直し、すぐに倍の早さで鼓動を打ち始めた。

まさか自分の真横・・・御者台から女の声がするとは。

御者台に登ってくるのを感じたか?────否。
 ステップに足をかけた時点でその重みと振動を感じられるくらいに気は張っていた。
それなのに、女は真横にいるのか?────是。
 倒れた馬車に横付けして覗きこんでいる間に、気配を消して乗ったに違いない。
振り返って相手を確認できるか?────否。
 恐怖で体が強張って、首の角度どころか眼球を動かすことすら出来ない。
御者台から飛び降りて逃げられるか?────否。
 女の繊手が旅人の肩に触れた。逃げようとすればどうなることか!

「ちょっと、なんで震えてるわけ?」

女は石のように凝り固まった旅人の顔を覗きこんだ。
しかし旅人から見て、女の顔は逢魔が刻の逆光に照らされており、全く視認できなかった。

「助けてもらっといてこんなことを言うのは失礼だけど、早く出してくれない? 夜になっちゃうわよ」

女は訝しむように旅人を見ながら言った。

「き、き、君は人間か?」

旅人は乾いた声で問うた。

「そうだけど?」

女は手にした革袋を投げては掴み、投げては掴みと繰り返す。
その革袋が自分の懐に入っている財布だと気がつくのに少し時間がかかった。

「冗談よ。はい」

女は革袋を旅人に戻しながら自己紹介した。

「私はクロエ。冒険者───シーフよ」

シーフ。
それは機敏さと器用さを駆使した冒険職だ。
宝箱や迷宮に仕掛けられた罠の解除や、気配を完全に断って獲物の背後から攻撃する能力等、高い素質と長い訓練の結果があってこそ、ようやく就くことが出来る職業だ。

旅人は息を大きく吸い込んで思いつくがまま怒鳴った。

「君さ! 気配消して乗り込むとか酷いじゃないか! どんな化物が乗ってきたのかって死ぬほどビビったぞ! そもそも! どうして私の財布を持っているんだ! 金狙いか! 助けてやろうとしている相手にそんなことするなんて! 冒険者ギルドに訴えるぞ!」

「うっさいわねぇ・・・私が何者か知ってもらうのに使っただけよ。返したでしょ?」

怒鳴る旅人と対照的に、クロエは冷静だ。

言い返そうとした旅人は、夜の帳が下りてきたおかげでクロエの顔を認識でき、息を呑んだ。

絹のように細かな金髪が風に靡き、まるで金色の煙のように見えた。
少女のように陽気で豊かな表情、それなのに淫魔のように甘美な声。
薄汚い格好でハイエナのように仕事を探している社会の爪弾き者が冒険者という存在だが、彼女はどこか違う。
衣装さえ与えれば貴族の社交界に出しても遜色ない美人なのだ。

「ほら、早く行こう。濃い夜が来るわよ」

濃い夜が来る─────夜が更ける、ではない。
今よりもっと暗く濃い夜という存在が、恐怖や妖魔たちと共に「来る」のだ。

その表現が夜の恐ろしさをよく言い表していたし、冒険者ならではのものだと感じた旅人は、苦笑して怒鳴るのをやめた。

馬車が進み出すと、クロエは思い出したように旅人に問いかけた。

「私は名乗ったわよ。このあたりの男は名乗りもしないわけ?」

「ああ、失礼した。私の名前はスメルチ。このあたりの男ではなく、旅人だ」



(2)

「はぁ? 人探しぃ?」

クロエは本気で不思議そうに言いながら、羊の肉を頬張った。

なんとか辿り着いた外辺境の小さな村の酒場。
冒険者クロエと旅人スメルチは、小さなテーブルの奥に山積みされた肉に齧り付き、ワインを喉に流し込んでいた。
その食いっぷり、飲みっぷりに、酒場にいた村の者たちは唖然としている。

クロエはヒューマン族にしては小柄で、冒険者にしては美しい女だ。
命がけで小銭を稼ぐ冒険者のような商売に向いているようには見えない。これほどの暴飲暴食っぷりは彼女の外見からは想像もできないだろう。

対するスメルチも、外辺境を旅する男にしては非常に華奢である。
腕も細く、この店で働いている女達のほうが余程しっかりした筋肉質な腕をしている。

そんな2人が競い合うように肉に食らいつく様は異常だと言ってもいい。

「誰を探してるのか知らないけど、探すアテがあってこの辺りをうろついているわけ?」

「なにもないよ」

「はぁ? 手がかりもないのに!? 外辺境だけでどれだけ広いと思ってるわけ? 見つけられる前にあんた死ぬよ?」

クロエが言っていることは正しい。
どんな怪物や蛮族がいるのかもわからないのに、命の危険を伴う遊び旅に出る者など外辺境にはいない。辺境では誰もが商売や生活のため、致し方なく、万全の準備を行い、死ぬ思いで旅に出るものなのだ。

「死ぬわけにはいかない」

スメルチはクロエが食べようとしていた腿肉を奪い取りかじりついた。

「そうまでして探す相手って誰なわけ?」

クロエはスメルチが飲もうとしたワインボトルをかっぱらい、そのまま口をつけて全部嚥下した。

「婚約者だ。会ったことはないけれどね」

クロエは眉をひそめた。

「会ったこともない婚約者を命がけで探すって、あんたバカ?」

「自分でもそう思うよ」

スメルチは苦笑しつつ、空っぽのワインボトルを覗きこんだ。逆さに振っても一滴も落ちてこない。

「私と初めて会う予定だった日、婚約者の乗っていた馬車が強盗たちに襲われたらしくてね。彼女はさらわれてしまったんだよ」

「それは─────」

クロエはそれ以上のことを口にしなかった。

強盗どもにさらわれてしまった女がどういう末路をたどるのか、辺境の民であれば想像に容易い。
クロエが現実をスメルチにつきつけるのを躊躇ったのも当然だった。

「わかってる。わかってるよ。無事でさえあればいいんだ。それだけなんだよ」

「なんで会ったことも見たいこともない相手にそこまで入れ込めるわけ?」

「惚れたからだよ」

更に追求しようとクロエが喋り出す前に、スメルチは懐から革袋を取り出した。
革袋の中にはペンダントが入っていた。文字通り肌身離さず持ち歩いているのだ。

「私に会う直前に送られてきたペンダントさ。会ったことがない私に、いつか会うときの目印にって、片割れの形をしているんだ。きっと彼女がもう片方を持っている。会った時に合わせると1つのペンダントになるんだろうね。その考えがとても愛らしくてね。会ったことはなくてもこのペンダントを送るその気持だけで私は彼女に惚れたのさ」

「はあ・・・」

クロエは白目を剥いて呆れていた。

「あんたがどこのお坊ちゃんかしらないけど、すごく緩い世界で生きてきたってことだけは分かったわ。ペンダント? そんなもん『私ってかわいらしい乙女な感じでしょ』っていう演出じゃない。いくらなんでもロマンテックすぎるわよ。どこの庶民がそんな歌劇の中のヒロインみたいなことをすると・・・」

「彼女は貴族だよ。正真正銘、ディメント王家に連なる貴族の娘さ。私もその末席にぶら下がっている貴族なんだけどね」

「はぁ・・・お貴族様たちの恋愛ってのは庶民にはわかんないわ。で? 実際会ってみて二目と見れないブサイクだったらどうするの?」

「容姿は関係ない」

「さすが貴族。腹が立つくらい綺麗事を言うのね、あんた」

「本心だよ」

「じゃあ、その娘と逢える代わりにあんたの命を差し出せって言われたら?」

「随分と極論を言うんだね」

スメルチは微笑する。苦笑ではない。クロエとの会話を楽しんでいるからこそ、自然にこぼれた笑みだ。
庶民ならワインボトルをぶつけあって殴り合いの大喧嘩をしているところだ。

「私の命にそんな価値があるとは思えないが────ひと目でも逢えるのであれば、もちろん、差し出すさ」

「その言葉と今までの言葉、後悔しないでよ?」

「ん?」

スメルチは後頭部に強い衝撃を感じ、そのままテーブルに突っ伏した。

棍棒を持った酒場の店主が無言で指示すると、客達もまた無言でロープを取り出し、手際よくスメルチの身体を拘束する。

その様子を見ているクロエは微笑を浮かべていた。



(3)

スメルチは後頭部に走った鈍痛で目覚めた。

朦朧とした意識が鮮明になるに連れ、鈍痛は激痛になっていく。
頭をさすろうと手を動かしたが、何かに阻まれているのか、指先1つ動かせない。

『縛られているのか・・・?』

スメルチは両手ばかりか両足までもぴくりとも動かない事を悟って、力むのをやめた。

辺りを見回す。暗すぎて室内なのか屋外なのかもわからないが、肌に触れる空気の感覚からして、建物の中ではないが野外というわけでもない。
あり得るとしたら野外にある洞窟のような場所だろう。

なにか饐えた臭いがする。
獣の死骸が放つあの臭いだ。

「お目覚めかしら」

クロエの声と同時にあちこちに火が灯り、その眩さにスメルチは目を細めた。

ここがどこかの洞窟であることは間違いない。
剥き出しの岩盤と舗装されていない凸凹の床、全体に漂う湿気がその通りだと言わんばかりの圧迫感を醸し出している。

洞窟内には酒場で見かけた村人たちがいた。どの目も虚ろで表情は欠片もない。
人間から表情や感情を抜き取るとこれほど不気味になるのかと思い知らされる。

「【あの人】の真似してみたんだけど、なかなか成功しないのよねぇ」

クロエは困ったような顔を作ってみせる。

「そこでさっきの話なんだけど、あんた婚約者と逢えるなら、命を捨ててもいいって言ったわよね?」

「もちろんだ───それはどうでもいい! これはなんの真似だ! 早く枷を外してくれ!」

「枷なんかしてないわよ。よく御覧なさい?」

促されて視線を動かし、スメルチは短く呻いた。
両手が見たこともないような武骨な筋肉の塊になっている。
足も違う。自分のものではない継ぎ接ぎだらけの太い丸太のような足になっている。

「まだ神経は繋げていないけど、約束通り命はもらったわ」

「なんてことを・・・私になにをしたんだ!」

「なにって、命をもらったのよ。骨はブラックドラゴンの龍骨、皮膚は死人のそれをつなぎあわせて不死化と自己再生の呪文を裏側に掘り込んでいるわ。あ、内臓はいらないから全部捨てて、どんな攻撃もムダになるように【生ける砂漠】の砂を入れといたから。それと心臓は────」

スメルチはクロエの言葉を遮った。

「君が!? どうして!? こんな酷いことを!」

「あら? まだ分からないのかしら。あー、わからないわよねぇ。顔も見たことがないんだから」

クロエは口元を隠しながら笑った。

「【私】が、いえ、【この娘】があなたの婚約者よ」

クロエは自分を指さして笑った。

「クロエ・G・マッコイ。17歳。あなたの婚約者だった娘の身体が、これよ」

クロエは胸元に手を突っ込み、ペンダントを引き出して見せた。
それはスメルチが革袋に入れて後生大事にしているペンダントの片割れに間違いない。

言葉を失ったスメルチの唇が震える。

混乱してしまい、何を聞くべきかわからなくなっているのだ。
クロエは心底楽しそうに笑うと、ペンダントにくちづけして大きな胸の谷間にしまいこんだ。

「何が何だかわからないでしょうから丁寧に教えてあげるわ」

クロエは腰に挿していた棒のようなものを取り出して一振りする。
棒は光る蛇のようなものを吐き出し、それはうねって石床を叩いた────鞭だ。

鞭は無表情のまま松明を持つ村人の一人を弾いた。

パンッ、という風船が割れるような音と共に村人の頭は破裂し、糸の切れた人形がそうであるように、力なく崩れ落ちる。
噴水のように流れ出す血潮は、床の溝を通じてスメルチの方に流れてくるが、それを避けたくても足を動かせない。

「どこから話そうかしら。そうねぇ・・・」

また光る鞭がしなる。
パンッ、パンッ、と2つの頭が弾け、血が床を濡らす。

「あんたも知っての通り【この娘】は強盗に襲われ、長い間捕まっていたわ。その間ありとあらゆる陵辱を受けたわけ。あんたが百回殺してくれとお願いしたくなるくらい酷い陵辱をね」

パンッ

「そんな【この娘】が世を恨む気持ちが私と相性良くってね。復讐に協力してあげる代わりに身体をくれるっていう約束をしたわけ」

パンッ

「ちなみにこの村の・・・こいつらが【この娘】を長年陵辱し続けてきた強盗どもなんだけどね」

パンッ
パンッ

「【私】は仮の肉体を手に入れることができたわけだし、こいつらに復讐するだなんて本当はどうでもよかったんだけど、秘術書によると、あんたを完成させるのに13人の魂と血潮が必要だったのよね。復讐も出来てあんたも完成される。一石二鳥ってやつ?」

パンッ
パンッ
パンッ

自分を表すのに【この娘】【私】と2つの称し方をするクロエにスメルチは疑問を口にせずにいられなかった。

「おまえは・・・なんなんだ」

「【私】の名はシャーデ。本当の身体が封じられてるから、仮の身体が【この娘】ってわけ」

スメルチはその名前に聞き覚えがあった。
だが───まさか───そんなことが───。

「あれ? 私の名前、聞いたことない? アザルス大陸をメチャクチャにして迷宮に封印された魔女シャーデって」

クロエ、いや、シャーデは笑いながら鞭を振う。

その度に村人、いや、強盗たちの頭がパンッ、パンッ、と弾け、床は血の海に変わっていく。

血潮が全てスメルチの足元に集まり、どんどん自身が吸収していることがわかり、スメルチは言いようのない不愉快さと高揚感から吠えた。

「ふふふ。いいわねぇ、その力強い声。あ、そうだ。私が冒険者だとかシーフだとか、嘘だから」

「お、俺をどうする・・・つもりだ」

「私の家来にしてあげる。ちゃんと完成するのなら、ね」

「か・・・ん・・・せ・・・い・・・?」

「そうよ。絶対死なない私の家来。私に魔の力を与えてくれた【あの人】が得意だった生命創造の秘術なんだけど、難しくって成功したことないのよねぇ」

パンッ
パンッ
パンッ

全てのここにいた人間の頭がはじけ飛び、血という血がスメルチの足元に集まり、それはすべて体内に吸い取られていった。

「あら?」

シャーデは眉を寄せた。
彼女が意図していない事態が発生したのだ。

スメルチの身体のあちこちに光の魔法陣が浮き上がり、まだ繋げていないはずの神経がつながっていき、全身に禍々しい生命力が漲っていくのが分かる。

「自己修復機能? まだ心臓も入れていないのに!?」

「あ────ば・・・しゃ────あ・・・・」

スメルチは白色化した瞳でシャーデを捕らえ、ゆっくり動き出した。
感情のある生き物の動きではない。まるで機械のように動くものすべてを破壊せんとする動きだ。

スメルチは床に拳を打ち付けた。
その一撃で生じた衝撃波はシャーデの体を蹌踉めかせるのに十分で、床には無数の亀裂が入った。

シャーデは蹌踉めき、蒼白になって膝をついた。

「まさかこんなタイミングで体の限界が来るなんて・・・ちょっとクロエちゃん、もう少し保ってくれないと!」

蒼白なシャーデは胸元からペンダントを取り出して、続け様にチェーンを引きちぎった。
それを眼前につき出すと、シャーデに次の一撃を当てようと拳を振り上げていたスメルチの動きが止まった。

「まだ心臓も入れていないのに動くなんて想定外のことしないでくれる? この身体もボロボロであまり保たないんだから」

立ち上がったシャーデは、スメルチの懐を弄り、革袋を取り出した。

「あ────ば・・・しゃ────あ・・・・」

「はいはい、心配・・・しないの」
まるで子供を諭すように言うと、自分の持つペンダントとスメルチのペンダントをゆっくり重ねあわせる。
2つは綺麗に1つの形になった。ハート型のそれは、無機質な金属なのにやけに暖かい輝きを放ち始めた。

「お・・・お・・・・おおおおおおお・・・・・・・・」

白濁したスメルチの瞳に感情の色が浮かび上がり、止めどなく涙がこぼれてくる。

「今のその姿で涙上戸って、似合わないからやめなさい・・・そして、これがあなたの胸に入る最後のパーツ、夢幻の心臓よ」

シャーデは力いっぱいその細い腕をスメルチの体に突っ込んだ。
皮膚を貫き、体内を満たす生ける砂を超え、手に先にあったペンダントはスメルチの身体の中に置かれた。

ドクン、ドクン。

ペンダントは脈打つ。
その鼓動に合わせてスメルチは自我を取り戻していく。

「これで・・・成功・・・かしら?」

苦痛のためか、シャーデは表情を歪め、スメルチの方に倒れこんだ。

「クロ・・・エ・・・」

その体を抱き止めたスメルチの表情は慈愛に満ちていた。



(4)

血まみれになった洞窟の玄室を出たスメルチは、抱きかかえた女に声をかけようとしたが、うまく喋れないことに気がついた。

「あ、ごめん。あとから調整するわ」

スメルチの太い腕の中でクロエ────いや、クロエの肉体を奪い取った魔女シャーデは屈託のない笑顔を浮かべる。
いつ死んでもおかしくないクロエの肉体は限界に近い有り様で、自分で歩くことも出来なかった。

スメルチにもあの華奢だった面影は残っていない。

腐食しかかって変色した皮膚は無造作につなぎ合わされ、無骨で巨大な肉体の中身は意志のある砂、鼓動しているのは無限に動く幻の心臓・・・邪神との盟約により13人の魂と血潮を捧げ、その胸には熱く鼓動を打ち続けるペンダントが入っている。

それでも彼は自分の境遇を悲しんでいなかった。
むしろ満足していると言ってもいいだろう。

自分の婚約者に出会え、こうして添い遂げることが出来る。長年望んできたことなのだ。その婚約者の魂が別のおぞましい何かに変わっていたとしても、スメルチにとってはクロエなのだ。

「この体、相当無茶されてきたせいでそんなに保ちそうにないけど、あんたの【逢いたい】って約束は果たしたわよ?」

スメルチは頷いた。

「すべてが無に還るその時まで、あなたは永遠に私の家来なんだから」

スメルチはまた頷いた。

「あ────ば・・・しゃ────あ・・・・」

まだ上手く体をコントロール出来ないスメルチは、しゃべることも困難だった。

「えーと? 私と出会った時に横転していた馬車は何だったのかって聞いてる?」

スメルチは驚いた。
どうしてシャーデが自分のたどたどしい言葉から全文を理解できたのか分からない。

「あっちよ」

シャーデはスメルチに指示し、洞窟の外を目指さずに別の玄室に向かわせた。

幾重にも魔法の封鎖呪文が施されたそこには、宝石のように輝く女が吊されていた。

着ているドレスからして貴族、しかも相当身分が高いことが分かる。
水のようにしなやかに流れるような金髪と、それ自体が光を放つかのようにきめ細かく瑞々しい白い肌。
このような美女が世の中にいるのか、と、スメルチは呆然となった。

「どう? ディメント王家の姫様よ────あら、さっそく浮気心?」

シャーデはスメルチの心を読んだかのように卑しい笑みを浮かべた。
心臓として鼓動しているペンダントがチクリと痛みを発したような気がする。

「安心なさい。次はこの体が私のものになる。あなたはこの美しい身体に仕える不死の騎士になるのよ」

「・・・・」

シャーデの言葉はスメルチにとって愛すべきクロエとの別れと同義だった。
だが、命の盟約によって逆らうことは出来なかった。

それに、本当にクロエの体は限界を迎えているようだった。
稀代の魔女シャーデでも死にゆく身体に魂を宿し続けるわけにはいかないらしく、顔色は悪い。

「この体・・・クロエちゃんの心配してる? 言っとくけど彼女の怨みは晴らしたし、婚約者であるあなたとも逢えたことだし、大満足だと思うわよ?」

「あ────ば・・・しゃ────あ・・・・」

「そうね。クロエの魂はもうここにはいないわ。そっちにあるんだから」

シャーデはスメルチの胸を指さした。

「あんたの胸にある夢幻の心臓・・・そのペンダントにはクロエちゃんの魂を入れてあるのよ」

スメルチは胸から感じるぬくもりに感極まった。

「ああ、もう、そんな極悪ヅラで泣かないでよ、もぅ。それにしても私ったらなんて善人なのかしら。会ったこともない婚約者たちを1つにしてあげるなんて、ロマンテックよねぇ────その対価は永遠の下僕だけど」

シャーデは笑おうとしたが、どこかが痛むのか、更に蒼白になった。

「もうこの肉体の限界ね・・・ほんっとギリギリだったわ。じゃあスメルチ、移魂法を使うから、しっかり守っててね」

「あ────ば・・・しゃ────あ・・・・」

スメルチは玄室の扉に向かった。

永遠に足る恋をした。
永遠に足るものを胸に持った。
あとは長い長い落葉の中に身を委ねるだけ。

いつか滅びの時が来るまで。

(完)