陽、沈みし刻の物語
Wizardry Online 3周年を記念し、ちょっとした読み物をお届けします。
物語は、涙無しには語れない「三巨頭」の知られざる物語。
秋めいてまいりましたので、お茶を嗜みながらの読書をご堪能ください。

第一章 薄暮れのクロルド

(1)
陽が沈む。
「それ」は花壇に注いでいたじょうろの水を止め、軋む首をもたげながら遠くを見た。
紅葉豊かな山々は黒き魔城のように姿を変え、今まで聞こえていた鳥の囀りはぴたりと止む。
代わりに虫達の奏でる鈴の音が四方から聞こえ始める。

「それ」が、とてもぎこちない足取りで洞窟に戻り、入り口のスイッチをいれると、洞窟の天井と床が仄かに光り、冷たい壁を照らす。
無機質な壁を少しでも隠したいのか、洞窟の至る所に棚があり、所狭しと鉢植えが置かれている。

「それ」は鉢植えを一つ一つ眺めるようにして洞窟の奥へと歩く。
その脚は一歩踏み出す度にギギギ、ギギギと不快な音を立てる。

どれくらいの時間をかけただろうか──────「それ」はすべての鉢植えに目を通し、複雑に入り組んだ洞窟の最奥に辿り着いた。

人の背丈の数倍はありそうな巨大な扉が「それ」の前に立ちはだかる。
だが、重く厚い扉にコツリと触れただけで、扉は低く唸るような音と共に開き始めた。

『KMT−96 ニンショウ カクニン』

人とは思えぬ無機質な声が遠くで聞こえる。
扉のどこかが歪んでいるのか、人一人通れる隙間を作ると動きを止めた。

「それ」が中に入ると、扉は役目を終えて安堵したかのように静かに閉じる。

中は少し広めの玄室だった。
ここにも沢山の鉢植えがあり、主の帰還を喜んで茎と葉を震わせる。
様々な絵画に描かれた情景は動き出し、いくつかの人物画が主に一礼する。
「それ」は、いつもと変わらぬ様子に満足したようにカウチに腰掛ける。
軋む足を伸ばすと、もう何百年と奏でられてきた音楽が流れ始めた。

リュートとも鼓笛とも分からない音が、ゆっくりと、心地よく、辺りに染み渡っていくと、
玄室の端から何かが顔を出した─────ネズミだ。

様々な病気を媒介すると言われ、人々から忌み嫌われているネズミは、いつものように「それ」に近付き、躊躇することなくその胸元まで這い上がった。

「それ」は愛おしそうにネズミの首筋を撫でる。
その冷たい鉄の指先は固く、鋭い。
それでもネズミは嬉しそうに目を細め、鼻をひくつかせながら顔を上げる。もっと撫でて、と。

数分間、全く同じ軌道でネズミの首筋を撫で上げた指先は、カウチの横においてあった小皿から植物の種をつまみ上げ、ネズミの口元に差し出す。
ネズミは数回匂いを確認し、種を手に持って頬張り始めた。

頬いっぱいに種を口にするネズミを見届けた「それ」は、ネズミを小皿に乗せて起き上がる。

荘厳な音楽が流れる中、ギギギ、ギギギという関節の音があまりにも邪魔と感じたのか、
できるだけ自分が音を立てないようにと、ゆっくり玄室の中央まで移動する。

空中に光が集まり、様々な数字が所々掠れながらも表示される。

『テイジホウコク ホンジツ イジョウ、ナシ。ライホウシャ────1メイ』

「それ」は仰け反って振り返った。背骨がある生き物であれば真っ二つに折れていてもおかしくない動きだ。
その異様な姿勢に驚いたのか、玄室の奥でガタッと音がした。

「それ」はエビ反りするような姿勢のまま、驚くほどの早さで玄室の奥に移動する。
指先のモーフィング金属は、瞬時に戦闘用の長く鋭い錐のような形に変わり、外燃機関が爆発的なエネルギーを供給し始める。

「それ」は来訪者を発見し、動きを止めた。

部屋の奥で小刻みに震えている少女は、さかしまに首を傾げる「それ」を見て、恐怖のあまりに嗚咽を漏らした。
年端もいかない少女であれば感情に任せて号泣しているところだろうが、そんなことをすれば即座に殺されるのではないかという恐怖心から、必死に自分の口を抑え、声を押し殺しながら泣いているのだ。

「それ」と少女が対峙したのは数秒だろうが、少女にとっては悠久の時のように思えたはずだ。

「それ」はゆっくりと状態を通常の位置まで戻し、変形させた指先も元の形に変えた。
そして、恭しく腕を胸元にあげて紳士のように一礼してみせる。

少女は嗚咽と震えを止め、驚いた表情で「それ」を見た。
顔は鈍色の甲冑に覆われ、表情どころか目元も見えない。
鎧の上に貴族服を着込んだような奇妙な出で立ちで、少し動くとギギギ、ギギギと歪な音がする。
人間なのか─────否、人間であれば先ほどのような反り返り方をした時点で絶命している。
怪物なのか─────わからない。怪物がこの玄室で音楽を楽しみ、植物を育て、ネズミに餌付けするだろうか?

「それ」は一礼したあと、手を数回振った。
先程と同じように、空中に光が集まり、文字が構成される。

だが、少女は首を大きく横に降った。

「よめないの。よみかた、しらないの・・・」

少女の小さな、震える声をどう理解したのか、「それ」は首を傾げてみせた。
数秒その姿勢のままで止まっていたが、なにか思い出したかのように動き出し、鉢植えから一本の花を抜いた。
その仕草はあくまで優しく、花に対しての労りが見えるようでもあった。

「それ」は綺麗な花を指先に摘むと、できるだけ遠くから、ゆっくりと少女に差し出した。
少女はおそるおそる手を出し、花を受け取る。
綺麗なだけではなく芳醇な甘い香りがするそれは、世にも珍しい蒼薔薇だった。


(2)

「わたしはエリー」

少女はスカートの端を摘んで少し持ち上げながら、優雅に挨拶した。
「それ」も胸元に手をやって返礼し、続けて金属の指を弾く。

すると、玄室のあちこちから小さな光の粉が湧き上がり、エリーに集まった。
少し体がこわばったが、光の粉は怖いものではないとわかった。
その証拠に薄汚れボロボロに破れていたワンピースは見たこともないような光沢を放つ可憐なドレスに変わり、穴が開いて底の抜けた靴は鏡のように磨かれたパンプスになった。
櫛を通したこともなかった金髪は、「それ」が微かに触れただけで綺麗で真っ直ぐになり、煤けた顔も化粧したような光沢を放つ。

エリーは夢を見ているような気分になった。

「それ」が指を鳴らすごとに変化が起きる。

パチリ──────千年ぶりの小さな来訪者に合うよう、玄室の照明が煌々と辺りを照らす。
パチリ──────先ほどまで流れていた落ち着いた音楽は、明るく楽しい音に変わる。
パチリ──────テーブルが現れ、どこからともなく飛んできた真新しいクロスが敷かれる。
パチリ──────燭台がクロスの上に生え、新品の蝋燭が燭台から生まれ、自動で火が灯る。
パチリ──────燭台の対角に沢山の花が活けられた花瓶が、燦々と光を返す。

「それ」にエスコートされ、テーブル席についたエリーの前に、温かいスープが置かれる。
空腹を更に燻らせる濃いブイヨンの匂い。その皿の装飾はたった一枚売るだけでエリーの家族が半年は遊んで暮らせそうなほどだ。

「それ」はエリーにスプーンを促しつつ、次々に食材を運んだ。

サラダは頬が落ちそうで痛くなるほどの旨味があるドレッシングがかかっており、焼きたてのパンは幼いエリーでも噛み切れ、いつも食べている石のように硬いパンとはまるで違うものだった。

メインディッシュとして出されたのは、この山間地方ではなかなかお目にかかれない大きな海魚のソテーと、香ばしいステーキ。
デザートにはテーブルに載せきれないので塔のように大きなケーキスタンドが置かれ、様々なお菓子が添えられた。

甘い紅茶を口に運ぶと「それ」は恭しくエリーの口元をナプキンで拭い、優雅に後片付けに入る────食べ残したお菓子のかけらをネズミに与えるのは忘れない。

「まるでおひめさまになったみたい」

エリーは笑顔で言うと「それ」は満足そうに頷いた。

本来ならば、この場所に無断で立ち入った者を排除するのが主に与えられた唯一の任務であり、「それ」の存在理由である。
だが、千年以上も前に主は姿を消し「それ」も長い年月で壊れかけていた。
いや、エリーを敵対するものではないと判断した結果なのだろうか。

「わたしね、たべられるものをさがしてたの」
「おいしそうなキノコがあったのに、あしがすべったの」
「くらいところにおちて、あるいてたら、ここに」
「どうやってはいったのか、わからなくて、でられなくて」
「きっとおかあさんがおこってるから、はやくかえらないと」

エリーは無言で聞いている「それ」に一生懸命語りかけた。

お母さんが怒ってる────常識的に考えれば、娘の行方がわからなくなったら怒るのではなく心配するものだ。
だが、貧困に喘ぎ生きるので精一杯の辺境では、働き手の一人が無断でいなくなってしまったと真っ先に考える。
様々な理由で直ぐに人が命を落とすこの世界だからこそ、深い悲しみは数限りない。
誰もが、自らが生きるために、尾を引くような悲しみは打ち捨てて前を向く。
それが辺境の民なのだ。

「それ」は頷いた。
エリーを村に返してあげなければならない。

だが、脚は相変わらずギギギ、ギギギと音を立てていて、今にも潰れてしまいそうだ。

動力は外気をエネルギーに変換する永久機関のお陰で、何万年経過しても動作保証されている。
だが、摩耗する関節部分や精密機器部分の劣化は如何ともしようがなかった。
「それ」が今まで原型を留め続けていられたのは、ここに予備パーツが大量に保管してあったからだ。
残された予備はあと3つ。
戦闘用に作られた金銀銅のパーツだけ。
これが尽きる時、「それ」は安らかなる眠りに就くことが出来るだろう。

「あしがいたいの?」

エリーが心配そうに「それ」の脚を擦る。
「それ」はエリーの頭をそっと撫で、仕掛け扉の中に保管してある最後のパーツを取り出した。
銅色の右手、
銅色の左手、
銅色の左足、
銅色の右足・・・
最後にエリーに見えないように今の頭部を銅色の頭部に換装すると、ギギギ、ギギギという音は一切なくなった。

新調された身体はエリーから見て色の違う鎧を着込んだように見えただろう。

「すてきよ」

エリーは「それ」の頬に感謝のキスをした。
心臓の永久機関をコントロールしているゼンマイが少し早く回転した。


それから数刻後───────。

村人たちは一切顔を見せない来訪者に恐怖していた。
鎧の上に貴族服を着込み、まるで姫様のように飾り立てられたエリーを抱きかかえてやってきた「それ」は、エリーに指示される通りに村の道を歩き、自宅前に着いた。

不思議なことに重そうな格好をしているというのに、雨上がりの泥濘んだ村の道に「それ」の足あとは一切ない。

偶然自宅前にいたエリーの父親と母親は、呆然と我が子と奇っ怪な来訪者を見比べた。

「ただいま!」

エリーは「それ」から降りた。
きれいなパンプスを泥で汚さないように慎重に歩いて母親のもとに行く。

「エリー・・・こんなにきれいな服を・・・」

母親は我が子の無事を確かめるより先に、娘が着飾っている服を触っていくらで売れるか算段した。

「あのひとがね、たすけてくれたの」
エリーが「それ」を指さすと、「それ」は恭しく一礼して踵を返した。

両親は「それ」に礼を言う訳でも引き止めるわけでもなく見送る。
エリーだけが何度もありがとう、ありがとうと声を張り上げて手を振った。
その手には「それ」が渡した蒼薔薇があった。
「ちょっとエリー! あれはなんなんだい!」

いつまでも手を振っているエリーを強引に振り向かせて問いかけた。いや、詰問したと言ったほうが正しいだろう。

「わかんない! おいしいものをたくさんたべたよ。おひめさまになったみたい!」
エリーにとって母親の詰問はいつもの口調でしかないのか、笑顔で返す。

「こりゃオメェ、もしかすると」
「ええ、あんた。あたしらにも天の恵みってもんがきたようだよ!」


(3)

また陽が沈み、花壇に水を巻き、玄室でカウチに横たわりながらいつもの音楽を聞く。

昨日の幼い来客が夢幻だったかのように、いつもと変わらぬ生活。
「それ」は少し寂しいのか、どこか落ち着かない様子で、エリーが隠れていた場所をチラチラ見た。

いつものようにネズミが顔を出し「それ」の胸元に這い上がった時、いつもとは違う音が玄室の中に鳴り響いた。

ネズミが驚いて逃げ出し、「それ」はカウチから直立する。

玄室の真ん中に光が集まり、危険を示す赤い色でなにかが表示される。

『シンニュウシャ、カクニン────タスウ  ブキ、ショジ、カクニン────KMT−96、シンニュウシャ、ハイジョ』

「それ」は新しい指先を尖らせ、すぐさま玄室を出た。

出口を目指して散策すると、玄室間際まで辿り着いていた侵入者達が「それ」を見つけて悲鳴を上げた。

「お、驚かせやがって・・・」
「こいつか、こんな穴蔵にたっぷり溜め込んでるってやつは」
「悪く思うなよ!」

彼らは「それ」を襲った。
見ず知らずの相手を襲うのに、躊躇や善への葛藤もない。少しでも油断があると逆に殺されてしまうのが辺境なのだ。

まず、鎧を着込んでいる相手を倒す場合は鈍器で頭を狙う。

どんなに頑丈な鎧でもハンマーで頭を横殴りにされたら首が耐えられないのだ───だが、棍棒で頭を横薙ぎにされても「それ」はまったく動かず、逆に棍棒を振った男のほうが反動で倒れていた。
まるで岩石を思い切り叩いて跳ね返されるような感覚だ。

辺境では想像力のない者から先に死んでいく。
自分より強い敵とは戦わない、自分が危険に陥る場所には行かない。

そいつが、そこが、自分にとって適うものであるかを想像できない愚者ほど命を失う。
それが辺境のセオリーなのだ────が、どんなに想像力に長けた者でも、「それ」が今の攻撃で微動だにせず立ち続けられるとは思わいだろう。

「や、やろう!」

ナイフを持った男が「それ」の首に刃を突き立てる───だが、装甲に隙間がない。
見たこともないような柔らかく、そして固い装甲が首全体を覆っていて刃が全く通らないのだ。

「それ」にとって棍棒やナイフなど、そのあたりに転がっている樹の枝と大差ない。

どんなに殴られても人間の出せる力で「それ」が着込んでいる銅色の装甲が歪むことはなく、今の人知で作られた刃はまったく通さない。

骨格を形成しているニューカルビン合金は衝撃をすべて吸収し、無限に動力を供給し続ける外燃機関は心臓部位にあるゼンマイを撒くことで戦闘時に爆発的な瞬発力を生む。
そのスピード破壊力は人間が何人、いや、何万人いようが到底敵うものではないのだ。

「それ」はナイフの刃を持ち、軽くひねった。ナイフの刃は柄元から簡単に折れた。
「それ」は棍棒を取り上げて、軽くひねった。棍棒は飴細工のように簡単に曲がった。

冷たい無機質な床に落ちる自分たちの武器を見て呆然とする男たちを尻目に、「それ」は出口を目指した。

入口付近では松明の炎がたくさん揺れ、小さな女の子の泣き叫ぶ声が反響していた。

「それ」が望遠で様子を見ると、ナノスキンで作ったドレスや靴は剥ぎ取られてボロ布を被せられたエリーがいた。
せっかく櫛を入れた髪の毛を無造作に捕まれ、村の屈強そうな男たちの先頭にいる。

「このクソガキ! さっさと案内しやがれ!」

エリーの髪の毛を掴んでいる男が怒鳴る。
「それ」が記憶している限り、その男はエリーを送り届けた先にいた。父親のはずだ。

「先行した連中が全部持って行っちまうだろうが! 早くてめぇが見つけたっていう場所に案内すりゃあいいんだよ! あんないい着物をタダでくれる御仁だ。相当貯めこんでるにちげぇねぇ!」

「いやあ! いたい! いたいよぉ!」

「父親の言うことが聞けねぇのか、このクソガキが!」

男はエリーの頬を拳で殴り飛ばした。
幼く小さな身体は人形のように宙を舞い、「それ」が丹念に育てた棚の鉢植えたちにぶつかった。
棚が崩れて鉢植えが床に堕ちていく。エリーがあまりの勢いでぶつかったので他の村人たちも驚く。

倒れたエリーの小さな身体の上に、重い棚がのしかかる。
小さな唇が赤い色を帯び、床一面に土と血のような水溜りが広がり、蒼い薔薇の花弁が浮かぶ。

痛みのあまりに強く閉じたエリーの目元からは涙がこぼれ、痙攣する身体から全ての息吹が消え去るまで、そう多くの時間は要らなかった。

「それ」は跳躍した。

命の灯火を失って横たわるエリーを見たから跳ねたのか。
丹精込めて育てた鉢植えが壊されたから跳んだのか。
嘗ての主に命じられるがまま、ここを守るために跳躍したのか
────「それ」の心根を分かる者はいない。

ただ想像できるのは、その場にいる者は全員阿鼻叫喚と血飛沫に飲まれ、二度とこの洞窟から出られないということだけだった。


(4)

綺麗な衣装で着飾られたエリーが横たわる。

何度となく彼女が夢見た、暖かくふかふかのベッドに。

「それ」は頭を撫で、生前のエリーに渡したのとまったく同じ蒼薔薇を一輪、小さな胸元に置いて櫓を出た。

両手を広げるのと同時に櫓全体が炎に包まれる。
村の中で動いているのは「それ」と爆炎、そして立ち上る黒煙だけだった。

なにが「それ」をそこまでさせたのか。
主の命じたこと以上のことを「それ」はやった。そして命じたことに背きあの洞窟を破棄して出てきた。

肩にネズミを乗せた「それ」は山の頂まで登ったところで下を見た。
かつて辺境の小さな村だった場所から登る黒煙が見える。
貧しく、愛らしい少女が暮らしていた村だ。

「それ」は数分動かず、じっと村を見ていた。
もしも「それ」に涙を流す機能があったなら、止めどなく涙を流していただろう。
もしも「それ」に絶叫する機能があったなら、この山全体を揺るがすほど号泣しただろう。
もしも「それ」がもっと早く己の使命が全うされたことに気がついてあの洞窟を出ていたなら、エリーが死ぬことはなかっただろう。

「それ」は手にした小さな何かを握りつぶした。
同時にすべての視界が白く霞み、音もなくあの洞窟と山々は消えた。
消失した空間を取り戻そうと、空気が急速に集まる。
飛ばされそうになったネズミをそっと守りながら、暴風吹き荒れる山を降りようと振り返った「それ」は動きを止めた。

女が微笑を浮かべて立っている。
「それ」の様々なセンサーも彼女の登場を感知できなかった。

「とんでもない魔力の爆発を感じて転移してきてみたら・・・いい駒がいたものね」

女は舌舐めずりすると「それ」が戦闘モードに移行するよりも早く懐に飛び込み、心臓付近にある【ネジ巻き】を抜きとり、別の【ねじ巻き】を差し込んだ。
その正確な動きとスピードは、到底人間業ではなかった。

新しい【ねじ巻き】を差し込まれた「それ」は膝をついて頭を抱えた。
「それ」の思考に一瞬の空白が生まれ、抗えない強い目的が生まれる。

目の前にいるこの女性に従うこと。

しかし、それを不許可とする自分もいる。その葛藤でショートしそうになっているのだ。

「あらあら、ドラグーン族の番兵のくせに、こんなポンコツでいいのかしら」

ドラグーン族。
千年以上前、この世界のすべてを掌握しながらも謎の衰退を遂げて地上から消えてしまった龍の子孫である。
彼らは船に乗って夜空の星々まで移動していたというが、その科学技術や魔法技術は今現在も遠く及ばない。
「それ」もドラグーン族の技術から生まれた産物だった。
主に命じられるがまま門番として仕える。それこそが「それ」の存在理由だった。

「あなた会話機能はある? ないかぁ。本当にポンコツね。まぁいいわ、これから私に仕えもらうんだから番兵ちゃんって呼ぶのもちょっと無粋よねぇ。うーん。クロルドでいいかしら。あなたの名前はクロルド。いいわね?」

「それ」は初めて名を与えられたが、その命令に従うべきかどうか、強い葛藤の中で藻掻き苦しんでいた。

「あら。ブートキーを変えたつもりだけど。一度イニシャライズしないとダメなのかしら。ドラグーンの技術ってイマイチわからないのよねぇ。まぁいいわ。嫌でも従ってもらうから」

女が細く白い指を動かすと「それ」は自分の意志とは関係なく立ち上がった。

「モーフィング装甲に貴族服・・・変な趣味ねぇ。なんにしてもゴツゴツしてて私に仕えるには華がなさすぎよね」

女が数回指を動かすと、その繊手の中に一輪の花が生まれた。
「それ」は動きを止めた。
女が「それ」の胸元に挿したのは、エリーに差し出したのと同じ蒼薔薇だった。

「うん、少しはよくなったわ────って、急におとなしくなったわね?」

「それ」は改めて女を見た。
風に流れる金髪と、純粋無垢に蝶の羽をちぎって喜ぶ少女のような眼差し。
まるで、エリーが大人になったかのような女だと、あらためて認識する。

「それ」は恭しく胸元に手を当てて、女に一礼した。

「あら? やっと従うようになったの? よくわからない子だけど、まぁいいわ。私は○△×□。あなたの主よ、壊れて動けなくなるまで永遠に覚えておきなさい」

女はしっかりと己の名をシャーデと名乗った。だが「それ」には別の名に聞こえたかもしれない────エリー、と。

「行くわよ、クロルド」

女が軽く呪文を唱え、空間が歪む。
「それ」──────────クロルドは肩に載せたネズミを守るように、ゆっくりと歪んだ空間に身を委ね、別の場所に転移した。

(完)